サルモネラの歴史と影響
米国農務省の報告によると、サルモネラは米国で最も多くの食中毒を引き起こす原因菌です。サルモネラ感染症(サルモネラ症)は、平均体温が約104°F(約40°C)に上昇する発熱を伴い、腸や胃の炎症、激しい下痢を引き起こします。かつては鶏肉や卵に限定されていたと考えられていましたが、近年のアウトブレイクは食品産業全体に広がっていることを示しています。
サルモネラとは
サルモネラは約2,500種の「グラム陰性」細菌の総称で、グラム染色で紫色に染まらない特徴があります。棒状の形態を取り、人・動物・鳥類に感染し、世界中で食中毒の原因となります。
歴史的人物
サルモネラ感染は古代から存在し、死亡例が多数報告されています。紀元前323年頃、アレキサンダー大王がサルモネラによる死とされる説があります。また、1861年にヴィクトリア女王の夫であるアルバート王子もサルモネラ症で死亡したとコロンビア大学が報告しています。
発見
サルモネラの名前は、獣医学者のダニエル・E・サーモン博士に由来します。サーモン博士は1876年にコーネル大学を卒業し、フランスの化学者ルイ・パスツールの指導を受けました。1885年にサーモン博士の助手であったセオバルト・スミスがこの菌を初めて分離・報告しました。
腸チフス
腸チフスはサルモネラ属の一種が原因で起こる致死性疾患です。16世紀から19世紀にかけて、衛生状態の悪さや水・食料の汚染により大規模な流行が繰り返されました。1896年にイギリスの外科医アルムロス・ライトが腸チフスワクチンを開発しましたが、実際には感染が強化され、パラチフスという新たな株が出現しました。F.スミス著『Food Poisoning, Policy and Politics』によれば、パラチフスは腸の症状がより激しいとされています。
メアリー・マロン(チフス・メアリー)
メアリー・マロンは米国で「最も危険な女性」の一人と呼ばれました。サルモネラに免疫があり、感染キャリアとして知られています。1904年、ニューヨーク州オイスター湾での腸チフス流行は、彼女が料理人として働いていた家庭が原因とされました。1932年に脳卒中で死亡するまで、彼女が関わったとされる食中毒は多数報告されています。
高い基準と現代の対策
技術と医療の進歩により、サルモネラとその各株の検出が可能になり、適切な抗生物質治療が行えるようになりました。食品取扱いの基準強化や、生卵・生肉・生鶏肉の摂取を控えるよう公衆衛生当局が呼び掛けることで、アウトブレイクは減少しています。一部の自治体では、調理従事者に対し糞便検査を義務付ける取り組みもあります。それでも、米国では毎年数万件のサルモネラ関連疾患が報告されています。
