カイロプラクティックの歴史と現在
古代ギリシャの起源
カイロプラクティックの先駆者は、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが背骨の重要性を説いたことに着目しています。ギリシャや中国の古文献には、背中の痛みを和らげるために背骨を手で操作した記述が見られます。ヘロドトスは、背骨のトラブルに苦しむ患者に対し、体力が足りない場合は背部を直接操作して治療したと伝えられています。
ダニエル・デイビッド・パーマー
近代カイロプラクティックの創始者はダニエル・デイビッド・パーマーです。元は養蜂家でラズベリー販売業者だったパーマーは、医療ジャーナルを熱心に読み、1885年に磁気療法師ポール・キャスターの研究に興味を持ちました。アイオワ州オットゥムワでキャスターの下で学んだ後、同州ダベンポートに「パーマー治療院」を開業しました。
パーマーの最初の調整
パーマーは、事務所で働く清掃員ハーベイ・リラードの突然の難聴に注目しました。リラードは生涯にわたって聴力は正常でしたが、ある日背中が「ポップ」した瞬間に聴力を失いました。パーマーは背骨の異常と聴覚障害が関係すると考え、背骨を調整したところ、リラードの聴力は即座に回復しました。このエピソードがカイロプラクティックの基礎理論となりました。
初のカイロプラクティック学校
リラードの成功例が広まると、様々な症状を抱える患者がパーマーの元に押し寄せました。当初は「手技治療」と呼んでいた背骨調整を、後にギリシャ語の "chiro"(手)と "praktikos"(実践)を組み合わせて「カイロプラクティック」と名付けました。パーマーは施設名を「パーマー・カイロプラクティック・スクール」と改め、1898年に最初の学生を受け入れました。
AMA(米国医師会)との対立
医療界はカイロプラクティックを正統な治療法と認めず、1920年代には米国医師会(AMA)が激しく反対しました。AMAの事務局長モリス・フィッシュバインはカイロプラクティックを「根拠のない危険な手法」と批判し、1960年代には「詐欺防止委員会」を設置して認定やメディケアの給付を阻止しようとしました。カイロプラクティック側は、医師が利益を独占し、病気の根本原因を隠していると非難しました。
1976年の訴訟
1976年、5人のカイロプラクティック医師が AMA など複数の医療団体に対し反トラスト訴訟(ウィルクス事件)を提起しました。この訴訟をはじめとする法的闘争により、AMA は姿勢を軟化させ、個々の医師がカイロプラクティックへの紹介を自由に判断できるよう倫理規定を改正しました。
現在の職業状況
現在では、一部の医師は依然として効果に疑問を抱くものの、多くの医療機関がカイロプラクティックを受け入れています。カイロプラクティック学生は病院や診療所で実習を行い、補完医療(Complementary Medicine)の一翼として全国のクリニックや病院で広く利用されています。
