サッタリー骨鋸の歴史と現代の活用
歴史
最も古い骨鋸はローマ時代の4世紀に作られた円筒形の青銅製鋸であると、J. Kirkup の著書『The Evolution of Saws for Osseous Surgery』に記されている。16世紀になると、銃創の治療のために壊疽防止の切断が必要となり、鋼製の骨鋸が使用され始めた。1617年のウッドアルズ切断鋸は重さ4ポンドと非常に重かったが、鋳造鋼の普及により、より小型で軽量な鋸が作られるようになった。1850年以前は米国の外科医は主にイギリスやフランスから器具を輸入しており、特にフランス製は美しさで評価されていた。
リチャード・S・サッタリー医師
1799年12月6日、ニューヨーク州フェアフィールドに生まれたリチャード・S・サッタリーは、セミノール戦争と南北戦争で外科医として従軍した経験を持つ。米軍の主任医療供給官を務め、1864年に准将に任命された。外科医としての知見を活かし、軍用の特殊器具や器具ケースの設計・製造を指揮した。
米国での製造
南北戦争期に使用された骨鋸は、従来輸入されていたフランス・イギリス製ではなく、サッタリーがフィラデルフィアやニューヨークのメーカーに委託して製造した。代表的な製造業者の一つが George Tiemann & Company で、標準的な連隊用外科ケースの改良に貢献した。戦時中、サッタリーは総計4,900箱の切断・手術器具ケースを調達し、その中には鋼刃の「サッタリーキャピタル鋸(サッタリー骨鋸)」「サッタリー切断鋸」「サッタリー無菌鋸」などが含まれていた。
サッタリー鋸
外科史家マイケル・エコルズによれば、戦争が進むにつれ骨鋸のハンドルや刃が著しく大きく・重くなった理由は明確に記録されていないが、兵士側の要望で「重作業用」の堅牢な工具が求められたと推測される。骨鋸は「男らしさ」を象徴するように大型化し、切断ナイフやハンドルも同様だった。当時の米国外科医は世界で最も多く野戦手術を行っており、耐久性の高い工具が必要だった。サッタリー骨鋸は角度のついた「D」字型ハンドルを備え、重い使用にも耐える設計となっている。
現代の使用状況
南北戦争後もサッタリー鋸は広く使われ続け、1967年のエディス・ルイーズ著『Care of the Patient in Surgery Including Techniques』でも言及されている。現在の手術室ではレーザー、超音波、高速水ジェット、電動振動鋸などが主流となっているが、遠隔地や災害救援の現場では依然としてサッタリー鋸が緊急外科キットに含まれることがある。
