多発性骨髄腫の歴史と治療の進歩

多発性骨髄腫は、骨髄に存在する形質細胞ががん化した疾患で、骨破壊・免疫機能低下・腎障害などを引き起こします。古代から存在したと考えられますが、体系的な理解は近代に入ってからです。

最初の症例

アメリカ先住民の遺骨からも多発性骨髄腫の痕跡が確認されており、実際の記録が残っている最初の症例は19世紀半ばのロンドンです。1844年、39歳のサラ・ニューバリーは背部の激しい疼痛と骨折に苦しみ、4年後に死亡しました。剖検で胸骨の一部が赤い物質に置き換わっていたことが報告されています。同様の所見は数年後のトーマス・アレクサンダー・マクビーンでも確認されています。

病名の確立

1873年、ロシアの医師フォン・ルスティツキーが自らの剖検で見つけた8例の骨髄腫に「multiple myeloma(多発性骨髄腫)」という名称を初めて用いました。この名称はロシアでは現在も用いられています。また、1880年代にオットー・カーレル医師が診断・治療した46歳の医師の症例は「カーレル病」とも呼ばれ、血漿の概念が確立された時期と重なり、疾患への関心が高まりました。

初期治療の変遷

当初は根菜の一種であるルバーブの錠剤やヒルの使用といった粗末な治療が行われました。1947年にはウレタンが標準治療とされましたが、効果はプラセボと同等と判明しました。その後、メルファラン+プレドニゾンが数十年にわたる標準レジメンとなり、患者の寿命を僅かに延長しました。近年ではサリドマイド、ボルテゾミブ、レナリドミドといった新薬や、1957年に概念が提案された幹細胞移植が実用化され、治療選択肢が大幅に広がっています。

診断方法の発展

1975年、米国国立がん研究所の資金提供により「Durie‑Salmon Staging System」が確立し、血清カルシウム、骨スキャン、タンパク質量、ヘモグロビンなど多項目で3段階に分類されました。2005年にはInternational Myeloma Working Groupが「International Staging System(ISS)」を提示し、β2‑ミクログロブリンとアルブミンの測定だけでステージングできるシンプルな方法として世界的に採用されています。

治療法探索への取り組み

1998年、多発性骨髄腫と診断されたカティ・ジューシとその姉カレン・アンドリュースが「Multiple Myeloma Research Foundation(MMRF)」を設立し、研究資金の調達に尽力しました。10年間で約1億1000万ドルを集め、世界100以上の研究施設へ資金を提供しました。根治は未だ達成されていませんが、近年の新薬や臨床試験により患者の生存期間は着実に延びています。

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