ジフテリアの歴史と影響
ジフテリアは、第二次世界大戦後に予防接種とスルファ薬が普及するまで、子どもたちを中心に多数の犠牲者を出した感染症です。1920年代の米国では年間10万〜20万件が報告され、1万3千〜1万5千人が死亡しました。近年は旧ソ連諸国などで再び流行し、ほぼ流行病レベルにまで拡大しています。
歴史
1735年から1740年にかけてニューイングランド植民地で頻発した流行では、10歳未満の子どもの80%がジフテリアで死亡しました。1826年にフランスの医師ピエール・ブレトノーが「ラ・ディフテリテ(la diphtherite)」と命名し、ギリシャ語の「皮革(diphtheria)」に由来する、喉や鼻の粘膜にできる硬い膜が特徴とされました。腫れたリンパ節が首を太く見せる「ブルネック」も典型的な症状で、窒息死が多く見られました。
地域別罹患状況
1884年の統計では、イングランドのハンプシャー、サセックス、サリー、ケンブリッジ、リンカンシャー、ベッドフォード、ヘレフォード、ケント、ミッドルセックス、ハートフォードなどで死亡率が最も高く、次いで北ウェールズやモンマス、シュロップシャー、サマセットが続きました。フランスでは10,000人以上の都市で、1886年から1890年にかけて死亡率が610人/100万に減少しています。1889年にはキプロスで大流行が報告されましたが、アジアでは欧州に比べて死亡者は少なく、流行は限定的でした。
理論・推測
ジフテリアは、同様の症状を示すクループ(喉頭炎)と混同され、クループによる死亡がジフテリアの死亡数に含まれたと考えられています。1881年までにクループ死亡者はジフテリア死亡統計に合算されました。
社会的意義
ジフテリアは、過密住宅やスラム街など人口密度の高い貧困地域で特に蔓延しやすい病気です。原因はジフテリア菌(Corynebacterium diphtheriae)が産生する毒素で、感染者の喉や皮膚に重篤な症状を引き起こします。
合併症と影響
ジフテリア毒素は心筋炎(心筋の炎症)や神経障害を引き起こし、心不全や言語障害、複視(二重視)といった深刻な合併症をもたらすことがあります。
