製薬会社とエイズ:治療薬の歴史と課題
エイズ(HIV感染症)の最初の報告は1981年です。Avertによれば、これまでに約2500万人がこの疾患で命を落としています。製薬会社の革新により、米国では1996年以降毎年死者数が減少していますが、貧困や高額な薬価が原因で世界全体の死者数は増加し続けています。
初めてのエイズ治療薬:AZT
1987年、米国食品医薬品局(FDA)は抗レトロウイルス薬AZT(ジドブジン)を承認し、エイズ治療に初めて使用されました。症状の抑制と患者の寿命延長に効果がありましたが、約7,000ドルという高額価格が批判を呼び、消費者の抗議が相次ぎました。抗議を受けて製薬会社は価格を約20%引き下げました。
カクテル療法(HAART)
1996年、3剤併用の「トリプルカクテル」治療(高度活性抗レトロウイルス療法、HAART)が導入され、血中のHIV量を大幅に低下させました。この治療法により米国のエイズ死者数は急激に減少し、以後、製薬会社はHAARTレジメンを次々と市場に投入しました。
ジェネリック薬との闘い
HAARTの効果が実証されると、世界各地で安価なジェネリック版が製造されました。米国製薬研究者協会(PhRMA)は、低価格ジェネリックが利益を圧迫し、将来の薬剤開発への投資意欲を低下させると主張し、激しい対立が生まれました。新薬開発は高リスクかつ高コストであり、利益率は回収の鍵となります。
WTOと特許問題
ジェネリックメーカーと大手製薬会社の対立は、世界貿易機関(WTO)の特許判決へと発展しました。インドや南アフリカなどの途上国が、HAARTのジェネリック薬を製造・輸出することを阻む国際特許法が維持されたのです。既に市場に出回っていたジェネリックは段階的に廃止されるよう求められ、活動家は「製薬会社の貪欲さが貧困国での死亡を増やしている」と非難しました。
価格交渉と政策転換
2000年代初頭、Avertの報告によれば、途上国への薬価引き下げ圧力が高まりました。5社の製薬会社がエイズが深刻な地域向けに価格を大幅に下げ、クリントン米大統領はアフリカ諸国に特許法を無視してジェネリック薬を輸入できる特例を認めました。
2005年以降、WTO加盟国は特許法遵守が義務付けられましたが、製薬会社は各国の一人当たりGDPに応じた価格設定や、感染症流行国へのジェネリック輸入許可に合意しています。
