ルイジアナ州沿岸外洋掘削の歴史
初期の歴史
ルイジアナ州のオフショア掘削は、まず陸上で始まりました。1920年代にはベイユーや湖沼、湿地で油田掘削が行われ、1930年代には大手石油会社が大規模な土地を低価格で取得しました(当時の大恐慌による土地価格の低下)。陸上のリースが不足し、メキシコ湾での地震探査が有望な油層を示したことから、1938年にピュア・オイル社とスーペリア・オイル社が共同で、海上で最初の油田を発見しました。
戦時期の影響
第二次世界大戦後、ヨーロッパから帰還した兵士や海軍ダイバーは、物流、海上通信、潜水技術といった専門知識を持ち帰り、オフショア掘削の技術革新に貢献しました。多くの最初の商業潜水員は海軍ダイバー出身です。また、戦時余剰船舶が安価に改装され、外洋コンチネンタルシェルフ(OCS)での掘削に活用されました。1947年11月、ケル・マクギー社がルイジアナ沖約12マイルの地点で、陸から見えない位置に初の生産油井を掘削し、戦後オフショア掘削時代の幕開けとなりました。
法制度の整備
1940年代以降、州と連邦政府はメキシコ湾のオフショアリース権を巡り激しく議論しました。1950年の最高裁判決「United States vs. Louisiana」により、連邦政府の許可なしに州が油田探査を行うことは禁じられました。1960~70年代には、ルイジアナ州沖の数百万エーカーが油田開発用に指定されました。1986年のルイジアナ漁業振興法により、使用済み油田リグを人工リーフに転換する「ルイジアナ人工リーフプログラム」が創設されました。1991年には油流出対応プログラムが制定され、1994年には掘削事業への税制優遇が導入され、沿岸外洋での油田開発が加速しました。
ハリケーンの脅威
ハリケーンはルイジアナ州のオフショア掘削にとって最大のリスクです。1940年代後半から1964年まで大規模な被害は回避されましたが、1964年のハリダ台風がインフラに打撃を与え、翌年のベッツィ台風(1965年)は史上最大級の被害をもたらしました。2004年のイヴァン台風、2005年のカトリナ台風は海底設備や沿岸施設に甚大な被害を与え、カトリナ後わずか30日でリタ台風が同様の経路で更なる被害を引き起こしました。2008年のグスタフ・台風とアイケー・台風も同様に影響を及ぼしました。
環境への配慮
オフショア掘削は経済的利益を生む一方で、環境課題も抱えています。特にルイジアナ州の漁業経済への影響が顕著です。カトリナ台風の高潮は沿岸の精製所や油田施設を浸水させ、約700万米ガロン(約2.6万立方メートル)の原油流出を引き起こしました。2010年4月には油田リグの火災・爆発により「全国的に重要な流出(Spill of National Significance)」が発生し、湿地や漁業資源への深刻な被害が懸念されています。
