従業員福利厚生におけるヘルスケアの歴史
現代の医療保険の概要
現在の医療保険プランは、診療費・処方薬・入院費をカバーします。最初のプランは1929年、テキサス州ダラス郡の公立学校教員1,200人と、ベイラー病院の管理者で元公立学校長官のジャスティン・フォード・キンボールとの間で交渉されました。1932年には、テキサスの教員や太平洋北西部の伐木労働者・鉱夫を対象に、非営利団体のブルークロス・ブルーシールドが設立され、2009年には米国で1億人以上の労働者が加入していました。
早期の個人向け民間健康保険の失敗
1847年初頭、ニュージャージー州とマサチューセッツ州でエイグル・ライフやヘルス・オブ・ニュージャージーが設立されましたが、経営方針が不明確だったため成功しませんでした。同年、マサチューセッツ州でさらに8社が設立され、保険料は年額4.50ドルから5.62ドル、給付は週4ドル程度と年齢や期間で変動しました。1863年には、全米ユニオン・ライフ・アンド・リムが連合軍の兵士・海兵を対象に保険を提供し、1864年にトラベラーズ保険は事故補償を認めるよう改正されました。
労働者から始まった保険制度
19世紀には、慈善団体やフラターナル組織の会員に対して健康保険が提供されました。1868年にペンシルベニア州ミードビルで設立された「古代統一労働者協会」は、フリーメイソン系団体をモデルに、都市部で働く労働者に対する保険を拡大しました。このようなフラターナル保険は、女性参政権や所得税、上院直接選挙といった進歩的改革の政治的基盤となりました。
病欠保険に関する議論
相互扶助の概念は中世のギルドや17世紀以降のイギリスの「フレンドリー・ソサエティ」にさかのぼります。産業革命期の米国では、スウェーデン・デンマーク・スイスが自国の慈善団体へ資金提供していましたが、保険議論は「病人が働けるかどうか」や「怠惰になるか」への懸念が中心でした。
病欠保険の実態
産業賃金が低く貯蓄が難しかった米国では、雇用主が提供する病欠保険は、医療給付が充実した高額プランよりも、欠勤日数の給与補償にとどまる低コストプランが選ばれました。保険料は会費に加えて、イベントやピクニック等の娯楽収入でもまかなわれました。1909年の調査では、病欠保険を提供する職場は平均1,652人の労働者が在籍し、全従業員の約44%が加入していました。
病気が労働力の生産性に与える影響
1983年にピューリッツァー賞を受賞したスタ―の『米国医療の変容』によれば、19世紀後半のビスマルク首相は「慈善を権力に変える手段」として普遍的健康保険を推進しました。核家族化が進むと、都市世帯にとって医療は生活必需品となり、軽度の病欠でも経済的損失が拡大しました。1900年までにドイツ労働者の約30%が何らかの団体医療保険に加入していました。
20世紀後半の動向
1930年代以降、労働組合と雇用主の双方が従業員福利厚生として医療保険を提供し始めました。第二次大戦中は賃金凍結が行われましたが、福利厚生は凍結されなかったため、医療保険は雇用誘因として広がりました。保険金は直接医療機関へ支払われましたが、費用増大に伴い支払額制限が導入され、医師は診療の自由が侵害されると不満を示しました。結果として、企業は保険者兼提供者であるマネージド・ケアへ移行し、1990年代末までに米国の被保険者の大半がマネージド・ケアに加入するようになりました。
