ラドンの歴史と健康リスク

ラドンはウランの崩壊過程で生じる放射性ガスで、色・匂い・味がなく、濃度が高いと健康に深刻な影響を及ぼす。

発見以前の危険性

数世紀後に科学者は、過去の人々がラドンに曝露されていたことを明らかにした。現在のオーストリアに相当する地域の鉱山労働者は、若くして死亡していた。1530年、スイスの医師パラケルススはこの死亡原因を「消耗性疾患」と呼び、同時代のドイツの学者ゲオルク・アグリコラは、鉱山の換気が必要だと提言した。

ラドンの発見

ニュージーランドの化学者・物理学者アーネスト・ラザフォードとドイツの物理学者フリードリッヒ・エルンスト・ドーンがラドンの発見に功績を残した。1900年、ドーンはラザフォードが研究していた放射性元素トリウムに関する先行研究に触発され、ラジウムがガスを放出することを報告した。ラザフォードはこの結果を確認し、放出されたガスが新たな放射性元素、すなわちラドンであると結論付けた。

最も重いガス

1910年、ウィリアム・ラムゼイ卿とロバート・ホイットロー・グレイはラドンを単離し、密度や質量などの物理特性を測定した。その結果、ラドンは既知のガスの中で最も重いことが判明した。

現在の危険性

ラドンは高濃度で吸入すると肺がんの原因となる。鉱山だけでなく、20世紀初頭に建てられた住宅でも放射性材料が使用されていたため、住居内での曝露が問題となっている。1986年にバージニア州保健局が実施した800戸の調査では、約12%の住宅でEPAが定める4 pCi/L(ピコキュリー/リットル)を超える濃度が検出された。ラドンは地下から自然に放出され、建物の基礎や床下に侵入しやすい。

ワトラス家族の事例

ラドンによる深刻な健康被害の代表例として、ワトラス家族のケースがある。1990年に『パレード』誌が取り上げたこの事例は、1984年に起きた。建設技師スタンリー・ワトラスはペンシルベニア州ポットスタウンの放射線測定施設で自分の体が異常に高い放射線レベルを示すことに気付いた。調査の結果、汚染源はペンシルベニア州ボイタウンにある自宅で、同居していた家族はモーテルや賃貸住宅へ避難させられ、約1年間にわたり電力会社が住宅からラドンを除去した。ワトラス家の住居に存在したラドン量は、年間40万回以上の胸部X線検査に相当すると推定された。

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