ADHDの歴史と発見
ADHDの歴史と発見
ADHD(注意欠陥・多動性障害)は、過活動・不注意・衝動性を特徴とする行動障害です。現代の疾患と考えられがちですが、1700年代にさかのぼる記録が残っています。以降、精神的な落ち着きのなさ、道徳統制の欠如、軽度脳損傷、幼児期過活動反応、注意欠陥障害(ADD)など、さまざまな名称で認識されてきました。
精神的な落ち着きのなさ(Mental Restlessness)
1798年、スコットランドの医師アレクサンダー・クライクトンは「精神的な落ち着きのなさ」を記述し、注意散漫で落ち着きのない子どもたち(当時は「fidgets」と呼ばれた)を指摘しました。彼は、これらの子どもは学業に集中できず、特別教育が必要と述べ、年齢が上がると症状が自然に軽減すると報告しています。
道徳統制の欠如(Defect in Moral Control)
1902年、英国小児科医ジョージ・スティルはロイヤル・カレッジ・オブ・フィジシャンズで講演し、知能は正常だが衝動的・過活動・反抗的・不注意な行動を示す子どもたちを「道徳統制の欠如」と名付けました。遺伝的要因や出生時の外傷が原因と考えられました。
脳炎後の行動障害(Post‑Encephalitic Behavior Disorder)
1917〜1918年の脳炎流行後、多くの小児が過活動・注意散漫・衝動性を示すようになり、医師はこれを脳炎による脳損傷と診断しました。成長とともに知能が高いことが判明し、「軽度脳損傷(minimal brain damage)」と呼ばれるようになりました。
幼児期過活動反応(Hyperkinetic Reaction of Childhood)
1968年、米国精神医学会の診断マニュアル(DSM)に「幼児期過活動反応」として初めて掲載され、主症状は過活動、付随症状に注意欠如や落ち着きのなさがありました。1950年代に導入された刺激性薬リタリンが広く使用され、過活動は成長とともに自然に治ると考えられました。
注意欠陥障害(ADD)
1970年代になると、研究は不注意症状に焦点を当て、バージニア・ダグラスらは「注意欠陥障害(ADD)」という名称を提案しました。DSM‑III(1980年)では、過活動の有無で「ADD with hyperactivity」および「ADD without hyperactivity」の診断基準が設定され、成人にも同様の症状が認められるようになりました。
注意欠陥・多動性障害(ADHD)
1980年代後半、ADDは脳が情報を正しく受け取れない・処理できないという仮説の下で再定義され、名称が「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」に統一されました。現在は注意不注意型、過活動・衝動性型、混合型の3つのサブタイプが認められていますが、正確な原因は未解明のままです。
