雇用主が健康保険を提供する歴史
賃金・価格統制
この四者間システムが標準となった経緯は、21世紀の医療制度改革を考える上で重要な手がかりです。
制度は第二次世界大戦中に誕生しました。当時、政府は広範な賃金・価格統制を実施しましたが、若者が兵役に就くことで民間の労働力が不足しました。雇用主は限られた労働者を確保する手段を模索しました。
1942年の『安定化法』は、給与や賃金の上限から福利厚生(フリンジベネフィット)を除外しました。その結果、健康保険が雇用契約に組み込まれるようになりました。
全国労働関係法(NLRA)
戦後も、雇用主が健康保険を提供する流れは続きました。1935年の全国労働関係法(NLRA)は、雇用主に「賃金、労働時間、就業条件」について組合と交渉することを義務付けました。
このとき、福利厚生、特に健康保険を交渉対象に含めるべきかが争点となりました。
NLRB と裁判所
NLRAは、全国労働関係委員会(NLRB)という行政機関を設置し、制度を監督させました。1949年、NLRBは健康保険を「賃金」の一部と認定し、以後雇用主は保険について交渉義務を負うこととなりました。この判決は連邦裁判所でも支持されました。
税制上の優遇
米国で雇用主提供の健康保険が広く受け入れられた最大の要因は、税制上の優遇です。1954年以降、雇用主が従業員の健康保険に拠出した金額は、従業員の課税所得から控除されます。したがって、組合の有無や賃金統制の有無に関わらず、雇用主は給与の一部を保険に回すことで採用競争力を高められます。
COBRA プラン
1985年、米国議会は統合予算調整法(COBRA)を可決し、ロナルド・レーガン大統領が署名しました。この法律の第X条は、雇用主が従業員とその直系家族に対し、退職後最大18か月間の保険継続を認めることで、四者間支払いシステムを法的に確立しました。
